『炭団坂』
本郷台地から菊叛の谷へ下る急な坂である。名前の由来は「ここは炭団などを商売にする者が多かった」とか「切り立った急な坂で転び落ちた者がいた」ということからつけられたといわれている。
台地の北側の斜面を下る坂のためにじめじめしていた。今のように階段や手すりがないころは、特に雨上がりには炭団のように転び落ち泥だらけになってしまったことであろう。
この坂を上りつめた右側の崖の上に、坪内逍遥が明治17年(1884)から20年(1887)まで住み、『小説神髄』や『当世書生気質』を発表した。
文京区教育委員会
平成6年3月