『附木店・見返り坂側の断面』・・・「附木店下のA地帯」レボート
この空き地は、小林質店の敷地でH1907月まで大谷石で出来ていた白い蔵があった場所です。 菊坂の通りを降り、角にアマチュア無線のアンテナのあるUさんを右に曲がったちょい上辺り、「附木店」と「菊坂の通り/新道」(明治21年まで未開通)のいわゆる「附木店下のA地帯」界隈の断面で、米軍の東京大空襲の記録のとおり、赤門ビルまで焼け野原となった一帯です。 撮影場所:文京区本郷五丁目1番地界隈
写真を観てもらうと分かるとおり年代の古い下の黒っぽい部分から観察すると、左から下に向かって附木店下は昔、棚田か段々畑の断面のようになっていたのが読み取れます。それに黒い石垣部分などは何度も増し積みされ、平らな敷地面積を確保する為、増積普請しその際、古い石垣を利用した部分があるようです。それらを考慮しても尚、これらは価値があると思います。ここは本郷通りで云うと「見返り坂/橋北五丁目」側になる為北が高く、南が低くくなっていた証明です。観察すると、職人による「乱石整層積」を初め「乱整層積」の部分そして素人積みかなと思う部分があったと思うと右にまた、職人による「切石布積み」部分があり、谷に下りていくと資材が不足していたのか、はたまた風情を考えたのか「くずれ積」が存在します。容積から考えると素人の普請も考えられます。まさにここの石垣は、履歴書状態ですね。どうか皆さん、気がついたこと知っていること等あったら教えて下さい。写真をクリックすると大きくなりますが。さらに細かく見たい方は写真右下にカーソルを移動し少々お待ちください。
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H190803 与 (梨木紫雲)
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