★「寛永大絵図」に見た「菊坂」  

寛永191642)年11月から、同20年9月の時期と広島大学大学院工学研究科助教)金行信輔氏によって 推定されている。

原本は、「臼杵市立臼杵図書館蔵【旧稲葉家資料】」で、Kai-Wai 散策  masaさんのブログに「川おとこ」さんとして出られている、

株式会社 『之 潮』さんの熱意と努力によって我々にも当時の大絵図が身近な物になった。感謝である。

最近はタモリ倶楽部にも良く出られている方である。・・・・さてその寛永大絵図によると、

「寛永大絵図」に見た「菊坂」界隈報告・・。

先日、念願の「寛永大絵図」を見た。「菊坂」は黄色い部分に占められるように「瀧 又助」なる人物

によって所有されていたようだ、また正保図の「謎の枠線空白域」には「長泉寺」と「本妙寺」の寺名

があった。正保図では只、記載されていなかっただけだったようだ。なんせ正保の前の寛永地図に

このように記載があるのが何よりの事実だろう。気になるのは「本妙寺」の南および東側の敷地枠

が違うようだ。また、色分けをしてみると聞いていた通り「与力」や「同心」等によって占められている

様子が手に取るように判るようだ。やはり「本妙寺坂」から「本妙寺」への道はまだ無く特に現本郷小

に見られる「中山勘解由」の名が異彩を放って見える。そして法真寺の「天野図書」の赤枠敷地に目

が行った。

また昔の「菊坂(胸突き坂)」又は「菊なし坂」に繋がる「喜福寿寺」迄の道特に落第横丁辺りの南側

(寺側)は同じ「タキ」でも違う「滝」の「滝川久助」と言う与力名が見られる。