■本郷の回覧板

昔空間散歩の薦め

本郷 −菊坂の与太郎−

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『本郷三丁目』丸の内線

●基点<本郷三丁目交差点 シリーズ >                          丸ノ内線『本郷三丁目』駅 + ■名曲喫茶『麦』    昭和29年に開通した赤い電車「丸ノ内線」の本郷三丁目駅構内から長い階段を上がり、改札のある踊り場に出る、そう本郷三丁目は今も昔も出入り口が一つである。まだ、切符が堅い厚紙の時代の話である。改札に向かう途中今は洗面所になっている位置に、網入りの曇りガラスが上半分についた観音開きの鉄の扉があった。・・ヨク挨拶する駅員さんとは仲良しだった、ある日のこと、通学帰路の改札で、リズムカルなキップを切る音に見取れていると、思も掛けぬ声を掛けてもらった。駅員さん「ボク・キップ切ってみたいかい・・。」与太郎「エエ、いいの〜、ヤラセテヤラセテ」と目を輝かせたというわけです。囲いの中に入れて貰い、重い鉄製の入札鋏。全然いい音がしません。その内慣れてくると何とか上手く切れるようになってきてブカブカの帽子をかぶせて貰い、今風に云う「即席体験学習」ていうところでしょうか。 お客さんの大人も、駅員さんゴッコに付き合ってくれ、嬉しそうにキップを差し出してくれるのでした。・・という感じでより駅員さんと仲良くなったのでした。後日、麻の布袋を両手に持っていたあこがれの駅員さんと会った。例の鉄の扉を開けて出た駅員さんの手招きに従って、外(中庭)を覗くと気持ちの良い空き地があった。 春日和で暖かい日であった。人が暫く入っていないからであろう。ひと一倍大きなタンポポが一面に黄色い花を咲かせ、幾つかは大きなふんわりとした白いボンボリ状になっていた。「フー」種は気持ちよさそうに風に乗って飛んでいった。また、ギサギザの葉っぱを気持ちよさそうに伸ばしていたのが、印象的であった。 ドアのある壁には麻の小袋がいくつも積まれ中から使用済みのキップがこぼれ出ていた、「アレ、キップ」というと、「欲しいだけ持っていっていいよ。」「また、遊びにおいで」などと幸せな言葉を掛けていただいたものである。そう、暖かいまなざしをもった駅員さんが昔からいらした本郷三丁目の駅であった。  そこでは後日、姉と四つ葉のクローバーを探したり、ムラサキのアザミを摘んだ思い出もある。その一角に土の小塚があり脇にお稲荷さんか何か良くは分からないが。朽ちかけた小社が右斜めに転がりそうになっていたのを見つけた。子供ながらにそれを小山の上に残っていた跡に合わせ、元通りに起こし上げた記憶がある。

だいぶ話も寄り道をしてしまいましたが、改札を出ると空間があり、長細い券売機が※円柱(ピンク色・工事中はオレンジ色・そして大理石風と変わって行った。)の裏手にありました。それらを左手に見ながら右、本郷通り側に出ると。 左手側には写真の電話ポックスがありました。勿論、最初は 本郷 弓町本郷教会 楠木 女子美弓町校舎コースで照会した「ベージュ色に塗られた公衆電話Box」がありました。 首から上しか見えないタイプで、ドアのノブが無く、取っ手の部分が円く、大きく抜かれており、ゴムでモールドしてあったタイプです。その左側に渡辺さんの板塀の続きや「本郷茶廊」そして、「ニュー・シャンゼ」や立ち食いのお蕎麦屋さん「まっちゃん」「ニューフォト」・老舗水引を製造している「若井佐吉商店」日光屋西村ビル・のキヨスクの売店のような「西村書店」があった。右には本郷「英語」・番場さんの喫茶「jr・ジュニア」や「美容室」、「芙蓉ドラッグ 駅前店」間口が広かった「野村レコード店」。そして隣には、大津ビルの地下に与太郎にとって忘れられない場所があります。

■名曲喫茶『麦』  初めて喫茶店というものに入ったのが、高校暁の時でした。東京Hi-Y(ハイスクール・YMCA)夏のキャンプ・サブリーダー面接に主事から指定された場所でした。  今は、白い看板に「麦」ですが、以前はオレンジ色に「麦」の看板があり、 赤い絨毯の階段を降り、程なく心地よいカウベルの付いた硝子小窓の沢山付いた木のドアを開ける。 当時は、右にシューベルトがピアノに向かい、作曲していて居眠りをしたのでは?・・・という噂になった。ペン頭跡のあるようなアゴの胸像写真が迎えてくれる。左に折れ、さらに階段を降りる、右側の部屋は会計・調理関係、公衆電話、レコードなどの音響設備などがあり。テーブルはダイニングキッチンのような高いテーブル部屋と左側、応接ソファーと、低いテーブルのある部屋とがある。与太郎は、左の部屋が好きである。座り心地の良いソファーに座るとまず、壁面上に架かっている東京大学管弦学部の協奏曲混成のオーケストラパネルに目が行くことであろう。これは、高校の時以来ず〜っと、ここに架かっている。店内で最初に驚いたのは、足の下の赤い絨毯を、奥から床に、なんと膝をつきながら丁寧に雑巾がけしてくるお店の方がいた。正直驚いた、どうりで地下の喫茶店にしては清潔であると感じた。そう、そしてそれが「麦」の先代マスターとの出会いであった。この河田氏は『日本人の攻撃性』などを初め幾つもの本を書かれている作家先生であり、最近の出版物には『内なる祖国へ. ある朝鮮人学徒兵の死』原書房などヨク海外に取材に行かれている。早大出身とのことで最近で云うと、森まゆみちゃんや坪井節子(節)ちゃんと同じ、大隈 重信門下であるようだ。とても温厚な紳士で私のような者にも気さくに話しかけてくださるようになった。感謝である。マスターの入れるブレンド珈琲がまた美味しい、コクがあって香りがあって、奥深い物がある。それ以来時間があると、また人と会う時は、利用させて貰っている。とても落ち着きのある場所である。店を出て隣にオリエント商会の小里スポーツ店が角にありました。

目の前の本郷通りに出て向かいには日本信販のビルが見え、左に目をやるとその先が本郷三丁目の交差点です。  交差点に近ずき【か祢やす】前から、本郷三丁目信号を渡った角には、交番が在り。昭和年代には有名な「髭のお巡りさん」がいました。サングラスを着用して一見してコワモテのお巡りさん。ですが、キチント挨拶をするとたとえ相手が小さな子供でも、キチント挨拶を返して下さったことを思い出します。大人はお巡りさんを見るとビクビクしていましたが、そのサングラスの奥に優しい瞳が見えているのを子供はヨク知っていたのでした。               H200103 与 (梨木紫雲)